コリンちゃん

コリン・ファースアカデミー賞の主演男優賞をとった。


あのコリンちゃんが。


10年くらい前、わたしは洋画ファンだった。
わたしが洋画をビデオで見始めたのは、息子が生まれてから。
それまでは映画館にも数えるほどしかいっていなかった。
落語や芝居が好きだったから。


それが、こどもを持って、どこにも出かけられなくなり、
授乳しながら見る洋画のビデオがほとんど唯一の娯楽になった。
数年もするといっぱしの洋画ファン。
お気に入りの俳優もどんどん増えていった。


コリン・ファースは最初なんで見たんだっけ。
ブリジット・ジョーンズの日記』かな。


でも、そのときに『アナザー・カントリー』の彼を思い出したのだった。
公開当時映画館で観て、主演のルパート・エヴェレットより、こっちの人のほうがずっと素敵、と思ったその人が、コリン・ファースだった。


なんか、おでこがせり出てる人が好きだったのよね。
あの人なんだわ、という再会の喜びで、彼のファンになった。


ブリジット・ジョーンズの日記』の原作では、彼が映画で演じたマイクが「『高慢と偏見』のコリン・ファースにそっくり」ということになっている。
つまり、原作者がモデルとして思い描いた当人が、そのキャラクターを演じてくれたのだ。
原作者は、さぞやうれしかったことだろう。


わたしも原典に当たろうと思い、BBC制作の『高慢と偏見』を買った。
ドラマだからレンタルビデオ店には入っていなかったのだ。
ヴィクトリア朝の風俗とコリンちゃんの仏頂面がとても素敵な作品である。


その頃にはコリンファンが集まる掲示板を見つけて常連になっていた。
「コリンちゃん」というのは、そこでの符丁のようなもの。
全員がそう呼んでいた。
ラブ・アクチュアリー』の試写会は、その掲示板仲間で順番を取って、上映前後はオフ会のように盛り上がったものだ。


コリンちゃんの前には、じつはロバート・ダウニーJr.に入れあげていた。
いまや主演作品が毎年のように公開される彼だが、あのころは、ドラッグでジェイルに出たり入ったり、どん底だった。
アメリカ本国のメーリングリストに入って、そこで知る出たり入ったり情報に一喜一憂していた。
あのファン生活はヘヴィだったなあ。


で、コリンちゃんに戻ると、いちばんかっこよかったのは『ブリジット・ジョーンズの日記』と『高慢と偏見』だったということが次第にわかってきて、なんとなく、冷めた。


後年、この人こそいまだにナンバー1である、ステラン・スカルスガルドが好きになり『マンマ・ミーア』に出ると聞いて狂喜したとき、三人の男性陣のなかにコリンちゃんもいると聞いても、さほどときめかなかった。


ステランは『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』で、海賊船と一体化したフジツボだらけのお父さんになって出てきても、好きだもの。


『天使と悪魔』のテレビCMで、スイス衛兵隊長として渋い演技を見せているステランを指差し「この人この人」といったら息子に「(ファンになるには)ごつすぎるだろう」と一蹴されたっけ。


なんて、ついコリンちゃんを忘れてしまうのだけれど『英国王のスピーチ』は必ず映画館で観ます。
ジェフリー・ラッシュの演技も楽しみ。

地味な野鳥コンテスト

親友と呼ぶには怖すぎる人のことを「畏友」と呼ぶとすると、まぎれもない「畏友」の一人Y女史が、
わたしのことを「マニアにだけ受ける地味な野鳥」と評したことがあった。


とにかく地味なので、街なかで飼っていても目立つことはないが、ごく稀に、同好の士が気づくなり走り寄ってきて「いい鳥を飼ってらっしゃいますねえ」とはげしく垂涎するという。


当たっているので、なにもいい返せなかった。
メジロの雌なんて、ほんとうに地味だけど、あれより珍しいマニア向けの野鳥なら、もっと地味なのだろう。
自分を投影するのにまったく抵抗がなかった。


そして、実際、マニアと出会った場合には、わたし自身にも訳がわからないような受けかたをする。
ごく最近のケースはすっぽん料理店店主だった。


仕事でお世話になっている人が開いた会の二次会に、別のお座敷を早めに切り上げて駆けつけたら、おーい、ここここ、と呼ばれたところが、すでにマニアの巣窟。


眼前には、チベットで12年修業したという治療家。
ちらし寿司など食べろ食べろと取り分けてくださる。
わたしを呼んだ人はその隣にいて、満面の笑み。


で、わたしの左横は空いているのね、と思った瞬間に、すっぽん店主登場。
間合いをいきなり詰めてくるが、動じずに対応。


職人談義傾聴には慣れているから、すっぽんについていろいろ聞かせていただいているうちに、
すっぽんのコラーゲンで僕の手は柔らかいんだよお、とおっしゃる。
わたしの胸の前にさしだす手のひらはまっしろで、たしかに柔らかそう。
思わず右手をそっとのせたら、店主はすかさずもう片方の手で上からはさんでがっちりホールド。
しまったあ、トラップだったかあ。


でも、すっぽんコラーゲンが表裏から浸透して、今夜は右手はハンドクリームいらないかも。
態度も顔色も変えずに応対していると、マニアの紳士性が発動することもわたしにはわかっているので、にこやかに会話を続ける。
ただ、前の男性たちが、その様子を見て笑うこと。


ここで強調しておきたいのだが、わたしは生涯を通じて「マニアに受けている」だけであって、一般的な意味でもてた試しは一度もない。



去年のクリスマス前に初めて会って一気になかよくなった、新宿伊勢丹の美容部員Oさんにこの「地味な野鳥」の話をしたら、メイク中にも関わらず爆笑していた。


その笑いが鎮まるのを自ら待ちかねていう。


「その地味な野鳥のコンテストがあるんですよね」


今度はわたしが爆笑。
彼女が追い打ちをかける。


「鳴き声競ったりして」


鳴き声。
ああ、やめて、アイシャドウ塗ってもらってんのにシワになっちゃうじゃない。


「すり餌のブレンドなんかもね、評価採点されるわけですよ」


ほんとにやめてー。


彼女も男に生まれていたら、地味な野鳥マニアだったのかも。
女同士で知り合って、冗談いえてよかった。

銭湯のおもひで

友人とお茶を飲んでいたら、温泉の話になった。
前を隠すとか隠さないとかその筋に持っていくのが好きな人なので、
わたしは中学2年まで通っていた北品川の銭湯の話をした。


わたしたちにとってはそれが「お風呂」で、呼び名も「お風呂」だった。
夜になって、さあ、銭湯にいこう、とは誰もいわない。
お風呂にいかなくちゃ、というのだ。


毎日のことなので、いちいち周りの目を恥ずかしがることもなく、
わたしの記憶では、女湯でも男湯でも前を隠す人はほとんどいなかった。
商店街の和菓子屋さんのおばさんの裸も本屋さんのおばさんの裸も、
自分のおかあさんの裸と同じように日常的なものだった。


そんな話をしているうちに、男湯に入った最後の日のことを思い出した。


小学校2年のときだった。
夜もかなり遅い時間だったのに、同級生の男の子に会ってしまったのだ。
彼は湯船につかっていて、わたしは入ろうとするところで、目が合った。


本名まもるくんで、愛称は「まもちゃん」。
睫毛が下向きにばさばさと濃くて、子山羊みたいな優しい顔をしていた。


わたしたちは、お互いの名前を小さな声で呼び合った。
彼の前で湯船のふちをまたぐのがどうにも恥ずかしいのだが、
後ろから父がきて、早く入りなさいという。


観念して、わたしは湯船に入った。


家に帰り、宣言したのを覚えている。
もう男湯にはいかない。



それからは、母といけないときには、母の友人に連れていってもらったり、
たしか3年生からは早い時間に一人でもいくようになった。



話を聞いた友人は、まもちゃんはうれしかったかなあという。
2年生だもの、うれしいって感覚はないんじゃない、と答えたら、
俺だったらうれしかった、と。



いまごろなにを想像してるんじゃ。

memory of lover

日曜劇場『冬のサクラ』。
本編は一回しか見ていないが、予告編や番組宣伝を見ては娘と語り合っている。


脳に腫瘍を持つ主婦が年下の男性に恋をして、手術をしたら記憶をなくしてしまうということを気に病んで、ぐずぐずしているうちに手遅れになるというストーリーらしい。


手術をするのは、彼女の夫である脳神経外科医で、年下の男性に嫉妬して、彼女に二度と会わないと約束すれば手術するとかなんとかいっている。


問題その2については、天才的だかなんだか知らないけど、恋人といっしょに別の医師を探せばすむことではないのか、というのがわたしの意見。


そして、問題その1については、手術前に、恋人の名前と特徴を細かく書いて、写真とともに信頼できる友人に預けておき、手術後にそれを持ってきてもらって、それを読んでから彼と会えばまた好きになれる、問題ない、というのがわたしの意見。


娘は、意見その2については、まあ、そうかもねえと半分同意してくれたのだが、意見その1については、ママさんは前向きすぎると苦笑。


えー、だって、自分が好きになったその人は、なんにも変わらないんだから、また出会えば、また一から好きになれるに決まってるじゃない。
そのために、自分で覚え書きをしておくんだし。


いやー、そんなふうに思えないから、手術するかどうか悩むんでしょ、と娘は常識的。


名前と、この人が好きってことを入れ墨しておくって手もあるよね、とわたしはエスカレート。


メメント』という映画では、記憶が5分しか保たない男が、妻を殺した犯人を探すために、手がかりを見つけると、それを逆さ文字で入れ墨にする。
鏡に映してそれを読むためだ。
上半身はもうすっかり入れ墨だらけ。


そこまでたくさん書く必要はないのだから、読みやすいところに普通の文字で入れておけばいい。
目立つ特徴も20文字以内でまとめておくとかね。


それに、どこまでまっさらに戻ったって、相手が素敵な人なら、また恋をすることは十分に考えられる。
前の記憶のあるなしは、関係ないと思う。


反対を考えてみてもいい。
相手が記憶をなくしたとして、その前に現れて、もう一度目を留めてもらえないのなら、それまでってことじゃないの。


思うたび、会うたびに好きになっていく恋愛ならば、出会いのやり直しだって、ちっとも怖くない。
いいかえれば、きょう出会って、また恋に落ちるような二人でなければ、きょう恋している意味がない。


わたしなら、ためらうことなく、入れます、墨を。
そして、その人と再会して、また恋をする。


日曜劇場向きの話にはならないかも知れないけれどね。

女性専用車両の乗り心地

朝早めの仕事で、JRの最寄りの駅を出るとき、混雑を避けてだんだんに先頭のほうへ移動していき、乗ってみたらば、あれ、女性専用車両だった。


上は70代から下は10代まで、乗客は女性ばかり。
当たり前だけど。


このブログでも再三書いているように、わたしは中学から高校、大学まで女子ばかりの学校に通った、「骨の随までの女子校者」である。


女性専用車両は、12歳からおなじみの女性だらけの世界、であるはずだ。
しかし、なんなんだ、この居心地の悪さは。
なぜ、リラックスできないんだ。


自分に問いかけるが、答えはない。


さまざまな年代の女性が集まっている状態は、女子校とは違うのだということがわかってきた。
つまり、女子校は世界の小さな一部だが、さまざまな年代の女性が乗っている女性専用車両は、世界の半分を象徴しているわけだ。


世界の小さな一部のなかに自分が納まっているときには、その一部以外の世界の大部分はほとんど意識に上らない。
しかし、世界の半分を象徴するような場所にいると、あとの半分が「ない」ことが意識に大きく映し出される。


男性は、どこにいったのだろう、と疑問がわいてくる。
もしかして、いましがた、世界から男性が消えてしまったのではないだろうか。
さっきまで、世界には男性と女性がいた、ということを知っているのは、わたしだけなのではないだろうか。


たとえば隣に立っている同年代の女性に、「男の人たちはどうしたんですか」と聞いたら、
「オトコノヒトタチ?なんですか、それは?」と聞き返されてしまうのかも知れない。


女性たちはみな、電車に乗っているのは自分一人だ、みたいな顔をしている。
誰も、周りの人を見ないのだ。
誰もが顔の向いた方向を、風景を見る目で見ている。


普通の車両でも互いは無関心のようだが、ときとして、
男性が女性を見る視線と、女性が男性を見る視線が空間でクロスしているのを感じる。


男性の、視線はきていなくても意識の線がくることもあり、それはじつは視線より強かったりするのだ。
(この線の詳細についてはまた別の機会に)


そういう線と線との交錯は、車両内空間のスパイスのような役割を果たしていて、昨今殺伐としてはいるが、車両を東京という街の一部として成り立たせているように思う。


女性専用車両には、男性がいないだけでなく、その交錯がないのだった。
いわゆるお化粧臭い空気以外、そこには雰囲気というものがない。


居心地が....悪い。


息が....詰まる。


つまり、わたしは男好きってことなのかなあと思いつつ、途中駅で特別快速に乗り換えるのをよいことに、女性専用車両を後にしたのだった。

白子鍋

先日、とてもおいしい、鯛の白子のパスタをごちそうになった。


作ってくれた人に「白子食べられる?」に聞かれ「もちろん」と答えたのだけれど、
そのときに、生まれて初めて食べた白子鍋のことを思い出した。


当時はまだ女子大生で、ある新聞社系の週刊誌でアルバイトをしていた。
よく仕事をくれていたのは函館出身の編集者で、もう一人は青森の人。
その津軽海峡コンビが、ある晩、津軽料理店に連れていってくれたのだった。


有楽町だったか新橋だったか。
おじさんの多い界隈の、おじさんの多い津軽料理店。
季節は初冬だったように思う。


入れ込みのお座敷に座ると、津軽海峡コンビは次々と料理を注文しはじめた。
「白子食べられる?」とそのときも聞かれたのだった。


「食べたことないけど、食べられると思う」
果敢にもわたしは答えた。


いざ運ばれてきた白子鍋。
材料のお皿の上には、なんだか脳味噌みたいなものが鎮座していた。



津軽海峡コンビは黙々と鍋のなかに材料を投入していった。
白子も煮えていく。


「煮えすぎるとうまくないよ、取って取って」


ポン酢の入った取り皿(というには深い。鍋のときのあれをなんていうんだろう)に
白菜と白子を取って、いわれた通りに白子から食べた。


津軽海峡コンビは、さりげなく、わたしの口元を観察。


わたしの両親はともに漁港育ちだから、わたしも海の匂いのものはたいてい大丈夫。
白子も初めてながらたいした違和感はなかった。


ただ、思った。
たよりないものだなあ、と。


鱈の白子とは聞いていたので、口に入れたときにまず、たらことの比較をしたのだ。
あのざらざら感、一粒一粒に「なにかある」と意識下に訴えるようなぷつぷつ感。
白子には、それが全くなかった。


処女(おとめ、と読んでおいてください)の想像力はそこで飛んだ。
男の人って、こんなふうなんだ、と。


さくるさん、正確にいおうではないの。
男の人の出すものって、こんなふうなんだ、と、思ったわけよね。



津軽海峡コンビは、ともにくりくりした可愛らしい目線で感想を求めている。
やっぱり聞きたいのね。
わたしはすっかり液体と化した白子を飲み下し、いった。


「男の人って、たいへんなのね」


二人には意味がわからなかったと思う。
白子からなぜこんな感想が導き出されるのか。



個体発生は系統発生を繰り返す。
当時からわたしの好きな命題だ。



こと白子において、鱈も人間も大差あるまい。
命の証として、こんなにたよりない、そこはかとないものを抱えて、
そのいくさきをあちらかこちらかと求めながら生きているわけよのう。


わたしはなぜか部族の長老のように感慨にふけり、
男の人って気の毒ね、とここは処女らしく残酷な結論に至ったのだった。



あれから幾星霜。
周囲の驚きのなかでこどもを二人まで生んで育てたわたしは、
パスタにからんだ鯛の白子の上品な味わいに至福を感じていた。



白子にもいろいろあるんだなあ。

あくび指南

健康雑誌の記事を読んだのがきっかけで、編集者として携わった女性誌でお仕事をお願いした、アーバン・シャーマンの安田隆さん。
初めてお会いしたのはもう6年近くも前のことです。月日の経つのは早いもの。



著書多数、開発した問題解決「技」無数という彼が、今年、その極めつけとして「パナシア」というものを発表しました。

「パナシア」とは「万能薬」。
「口をあけっぱなし」の「パナシ」にもかけているそうです。


詳細は、文末にご紹介する彼のサイトをごらんいただくとして、きのうわたしに訪れた、あまりといえばあまりの「パナシア」効果について、お話したいと思います。


始めたのは午後1時くらいだったでしょうか。
電車のなかでこっそり、口をあけっぱなし。
自分に問いかけをして、口を開け、あるものが出てくるのを待つわけです。
あるものとは、タイトルにも書いちゃいましたね、あくびです。


(「あくび指南」というのは、古典落語のネタでもあります)


そしてまず、お茶を約束していた友人に会いました。
彼女について、心配なことが二つあったのです。
一つは体調のこと、一つは仕事のこと。
それが二つとも、拍子抜けして笑ってしまうほど「よい」状態になっていることがわかりました。
彼女の様子も、とても健康そうで、いつもに増してきれいでした。


彼女と別れてiPhoneを見ると、人生の半分より向こうから世話になっている先輩の編集者から電話が入っていました。
すぐにかけると、わたしが前に書いた文章が読みたいんだけどファイルが見つからないから送ってといいます。
1年ぶりに聞く声が元気でほっとしました。


仕事先へ移動しているとき、12日も返事がこなかった相手からメールがきて、わたしの書いたプロフィール原稿へのお礼でした。
気に入ったのか入らなかったのか、そろそろ聞かないと、なんて切り出そうと思った、その数分後でした。
メールには感謝の言葉に続けて、さっそく使わせてもらいます、と書いてありました。
あー、よかった、と安心。


仕事は、広報のためのテキストを請け負っているクライアントのセミナー説明会でした。
潜在意識の思い込みをはずして、新しいプラスイメージと入れ替えるメソッドの体験で、取材者のわたし自身も「わたしはわたしの気持ちを表現しても大丈夫」というイメージをダウンロードすることができました。


説明会の最中に入ったメールは、二日前に紹介された方からで、まとまった仕事につながる内容。
説明会が終わって、一人でカフェに入り、すぐにお返事を出し、紹介してくださった方にもお礼のメールを出し。


そして、地下鉄の駅からの帰りの電車、ぼんやりして反対方向に乗っていました。
(わたしにはよくあることではあります。はは)
駅一つで気づいて下りたら、正しい方向の次の電車は6分後。
あくびをもう1回2回してから、2週間ほど前にきまずくなっていた友人に電話してみました。


友人は、まるでなーんにもなかったかのように、日曜日に仕事をしていたわたしをねぎらってくれ、このあとお茶を飲もうかというのです。
わたしは「ほんと?うれしい!」と声をあげていました。
いつもならそんなふうにいえないのに、説明会でのイメージ入れ替えのおかげだったかも知れません。


そして、途中下車をして、友人とお茶を飲みました。
短い時間だったけど、すっかり仲直り。
最高の一日の最高な締めくくりになったんです。


驚異の「パナシア」!


なにがすごかったといって、この半日で、いまわたしが関わっている人たちのなかでもっとも重要なキャストがすべて登場し、全員が、よいニュースをもたらしてくれたり、よい状態を見せてくれたり、次の段階を示してくれたりしたということです。


さらには、全員が、とても温かくジェントルに接してくれたこと。
わたし自身が、つねづね彼らにそう対したいと思っているような接しかたで。


自分の口一つあれば、誰にでもいますぐ使える「パナシア」。
よろしかったら、あなたも。


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