白子鍋

先日、とてもおいしい、鯛の白子のパスタをごちそうになった。


作ってくれた人に「白子食べられる?」に聞かれ「もちろん」と答えたのだけれど、
そのときに、生まれて初めて食べた白子鍋のことを思い出した。


当時はまだ女子大生で、ある新聞社系の週刊誌でアルバイトをしていた。
よく仕事をくれていたのは函館出身の編集者で、もう一人は青森の人。
その津軽海峡コンビが、ある晩、津軽料理店に連れていってくれたのだった。


有楽町だったか新橋だったか。
おじさんの多い界隈の、おじさんの多い津軽料理店。
季節は初冬だったように思う。


入れ込みのお座敷に座ると、津軽海峡コンビは次々と料理を注文しはじめた。
「白子食べられる?」とそのときも聞かれたのだった。


「食べたことないけど、食べられると思う」
果敢にもわたしは答えた。


いざ運ばれてきた白子鍋。
材料のお皿の上には、なんだか脳味噌みたいなものが鎮座していた。



津軽海峡コンビは黙々と鍋のなかに材料を投入していった。
白子も煮えていく。


「煮えすぎるとうまくないよ、取って取って」


ポン酢の入った取り皿(というには深い。鍋のときのあれをなんていうんだろう)に
白菜と白子を取って、いわれた通りに白子から食べた。


津軽海峡コンビは、さりげなく、わたしの口元を観察。


わたしの両親はともに漁港育ちだから、わたしも海の匂いのものはたいてい大丈夫。
白子も初めてながらたいした違和感はなかった。


ただ、思った。
たよりないものだなあ、と。


鱈の白子とは聞いていたので、口に入れたときにまず、たらことの比較をしたのだ。
あのざらざら感、一粒一粒に「なにかある」と意識下に訴えるようなぷつぷつ感。
白子には、それが全くなかった。


処女(おとめ、と読んでおいてください)の想像力はそこで飛んだ。
男の人って、こんなふうなんだ、と。


さくるさん、正確にいおうではないの。
男の人の出すものって、こんなふうなんだ、と、思ったわけよね。



津軽海峡コンビは、ともにくりくりした可愛らしい目線で感想を求めている。
やっぱり聞きたいのね。
わたしはすっかり液体と化した白子を飲み下し、いった。


「男の人って、たいへんなのね」


二人には意味がわからなかったと思う。
白子からなぜこんな感想が導き出されるのか。



個体発生は系統発生を繰り返す。
当時からわたしの好きな命題だ。



こと白子において、鱈も人間も大差あるまい。
命の証として、こんなにたよりない、そこはかとないものを抱えて、
そのいくさきをあちらかこちらかと求めながら生きているわけよのう。


わたしはなぜか部族の長老のように感慨にふけり、
男の人って気の毒ね、とここは処女らしく残酷な結論に至ったのだった。



あれから幾星霜。
周囲の驚きのなかでこどもを二人まで生んで育てたわたしは、
パスタにからんだ鯛の白子の上品な味わいに至福を感じていた。



白子にもいろいろあるんだなあ。