清月堂ライクス

空間が失われたことが、人を失ったのと同じくらい悲しいことがある。
わたしは品川で生まれて育ったが、両親が家を越したためにそこには実家がない。
千葉県の転居先には14年経ってもなじめず、品川にいっても落ち着く場所がないのがつらい。
いまでは、わたしにとっての「実家」という概念は、東京のいくつかの街や、山手線や地下鉄の駅や車内という、広くて流動するスペースのなかに拡散したように思う。
山手線に乗ると必ずほーっとためいきが出るし、銀座に地下鉄で着いて、通りに出る階段を上っていって銀座の空が見える瞬間には、いつも心の解放を覚える。
スノッブに響くだろうけれども、銀座に向かって「ただいまーっ」といいたい気分になるのだ。
しかし、その銀座のなかでも、空間が失われるという出来事は起こりつづける。
当然だ。
銀座コアの裏手にあった清月堂ライクスという喫茶室がその最たるものだ。
清月堂がビルを立て替えて、そこはレストランとギャラリーになってしまった。
中学の初めから、銀座にいくたびにそこでお茶を飲んだ。
シャンパングラスに流し込んであるレアチーズケーキもおいしかったし、クリームソーダはフレッシュのオレンジジュースをソーダで割ってあって、少し離して見ると、まるでベネチアンガラスのようにきらきらしてきれいだった。
バーテンダーたちは、揃ってプロフェッショナルで、母の表現では彼らの「指を口に入れてもいいと思うほど」に清潔感があった。
ウエイトレスもつねにきびきびと動き、いついっても気持ちのいい店だった。
そこがなくなっているのに気づいた日には、店の前で膝をつきたいほど脱力した。
生まれてから毎日見ていた大きな木を突然切り倒されたのと同じくらいの衝撃だった。
わたしが思い入れ過剰なのは自覚しているが、あの店は、たしかに、わたしの幸福の重要な要素の一つだった。
思い出のつづきとして、いつでもあそこにあって、また好きなときにいけるということが、幸福の一部だったのだ。