アポー・パイ!
息子の高校の同級生にはおっとりした子が多いのだけれど、なかでもとくにおっとりしていて地顔が笑顔だというNくんは、幼少の頃、ご両親とニューヨークにいたらしい。
住まいの近くに、とてもおいしいパイのお店があり、Nくんのおかあさんは一番人気のアップルパイをぜひ食べたいと思っていた。
それで、お店にいって、アッルパイください、と英語でいうのだけれど、何回いいなおしても「Huh?」と聞き返されてしまい、最後に出てくるのはミート・パイなのだった。
ミート・パイもおいしくなくはないのだけれど、やはり、なんとしてもアップルパイを食べたい。
おかあさんは地元の幼稚園にすっかりなじんでいるNくんに、ある日尋ねた。
「リンゴって、英語でなんていうの」
Nくんは、にこっと笑って答えた。
「アップル」
「それは日本語でいったときでしょ。幼稚園ではなんていってるの」
「Apple」
おかあさんには「あぽー」とかなんとかとしか聞き取れない、でも感じからして完璧な発音の「Apple」だった。
まるでその瞬間自分の息子が自分の息子でなくなったような、その感じ。
おかあさんはNくんを連れてパイのお店にいった。
店員さんに、まずは「ください」という意味の声をかける。
「はい、なにを」
おかあさんは、Nくんを後ろから抱き上げて、自分の顔より高く構えた。
それが合図で、Nくんは、
「Apple」
おかあさんはすかさずNくんの横から自分の顔を出し、
「パイ」
店員さんは、全く聞き返すことなく、まぎれもない、アップルパイを包んでくれたそうな。
めでたし、めでたし。
追記
この話を息子から聞いて、改めていまとんでもなくでっかくなっている息子を見た。
でもこの子のことをかつてわたしも抱き上げていたのよね、と思ったら、
ニューヨーク時代のNくんのことが自分の息子のように思え、おかあさんのことも他人に思えなくなり。
わたしたちにもそんなニューヨーク生活があったような気さえしてきて、なんかとても幸せ。