三次元

インフルエンザの次は花粉対策ということで、マスクの広告が目につく。
わたしが気になっているのは「三次元マスク」。
他のマスクがいくらぺったんこに見えても、二次元だったら触れないし、まして装着できないわけで、このネーミングはなにか勘違いしてるだろうと思うのだけど、いいたいことは、まあ、わかる。
顔の凹凸に「立体的に」フィットする、と強調したいんだよね。
「3D」はやりでもあるし。
それをいうなら毎日わたしが顔よりちょっと下に装着しているフランスのブラも、3D的フィッティングで女性ならきっと誰もが目から鱗を落とすはずだ。
いままで自分がしていた日本のメーカーのブラはなんだったんだ、あれじゃまるで胸のマスクじゃないか、と。
いや、だからそのマスクもいまや三次元になっているんですよ、と話はループする。
わたしがいいたいのは、志を立てる、ということなのだ、きょうは。
けさ、朝寝の毛布にくるまって考えていた。
自分の望みについて。
そうしたら、なんだか、自分が、ペーパークラフトの飛び出すカードの、飛び出す部分になったような気がした。
気がするとともに起き上がってきている。
心のなかで、自分が起き上がってきたのだ。
背景がなかほどで90度に折り畳まれて、わたし自身はマイケル・ジャクソンばりの筋力で(彼は俯き姿勢からだけど、わたしは仰向けで)かかとだけを支点にぴゅうっと、立ち上がった。
ついさっきまでは、平面のなかにいた。
わたしのなかにある望みも当然平面にあって、周りと切り離せなかった。
周りとはつまり、いいわけの世界だ。
いいかえれば、自分を取り巻く、条件の世界。
なにかの拍子に、わたしは自分の輪郭に切り込みを入れることができていたらしい。
そのことに気づかないまま、けさ目を覚まして、すべてを望むことを自分にゆるそう、と思ったのだ。
じつは一週間ほど前から、そう考え、そう思うことを自分に、いわば課していた。
望みを持つことに対して、あまりに抑圧をかけている自分を知ったからだ。
立ち上がってみて感じる。
「立志」ってこれだったんだ。
二次元から三次元へ。
以下つづく。