檸檬、じゃないけど

「わたしの」のあとに作った文章に出てきた言葉をそれぞれ連想していくことで無意識に下りていく方法を、ある心理療法家に教わった。
「わたしの喜び」について連想していくうちに出てきた言葉のなかに「万年筆」があった。
万年筆で原稿を書く、ということを思い出した。
年末に書類の棚を整理していたとき、200字詰めのちょっと高い原稿用紙の残りを見つけたことも。
クリーム色の紙で、罫はグレイ、升目は横に平たい。
万年筆はペリカンで、軸のなかほどがグリーンと黒のストライプになっている。
数年使っていなかったので、コップの水を何度も換えて、なかのインクをよく洗い流した。
大学通りの文具店にいって聞いてみると、ペリカンの瓶に入ったインクは二色あった。
明るいほうのロイヤルブルーを買う。
そのままカフェにいって、インクの瓶の蓋を開け、万年筆に吸い上げた。
原稿用紙に書きはじめる。
二時間ほど前に降っていた雪の話。
そのときには雨になっていたが、その雨を見ながら書いた。
全然、違う。
なにがって。
いつも手で書くときには、100円ちょっとの水性ボールペンと緑色の表紙の400字詰め原稿用紙。
ペンはブルーブラックで、原稿用紙は白い紙に薄いグリーンの罫。
升目が小さくて、ふりがなを振る部分もあるから、見た目がこまごましている。
そこへいくと、万年筆と200字詰めクリーム色原稿用紙は万事余裕がある。
「金持ち喧嘩せず」
という言葉を思い出す。
原稿用紙で入稿なんて、もう10年もしていないけれど、下書きだとしても、手で書くときには、この取り合わせがいい、と思った。
しかし、なんていうか、文体が純文学になってしまう。
エッセイじゃない、これ。
書き上がって、気分は梶井基次郎