再会の季節

高校時代のボーイフレンドと再会した、という話を、このところ、高校時代の同級生からいくつか聞いた。
わたしたちは中学高校続いた女子校に通っていたから、高校時代のボーイフレンドというのは、たいてい同じような6年続きの、男子校の男の子たちだった。
感想としては、いよいよそんな年になっちゃったのかなあというのが一つ。
つまり、卒業してもう30年も経っちゃってるから、いろんなことが「時効」で、思い出を大人同士として語り合えるよね、ってほどに齢を重ねたのね、わたしたち、と。
なぜ、なんとなく、離れていってしまったか、連絡しなくなっちゃったか、いま解き明かすあのときの気まずさ、なんてね。
もう一つの感想は、わたしはいいや、っていうもの。
わたしの中学時代からのボーイフレンドというのは、じつは小学校の5年生から6年生に上がる春休みに進学教室で知り合った子だった。
癖っ毛でちょっとイギリスの男の子みたいな雰囲気で、おかあさんが仕立てたというコーデュロイの薄茶のジャケットにグレンチェックの半ズボンをはいていた。
小脇に当時出たばかりの「SNOOPY」って雑誌を抱えていて、わたしもあわてて近所の本屋さんに頼んで取り寄せてもらったっけ。
受験前の最後の学期でも同じ教室になって、受験直前のお正月には「がんばろうね」と年賀状をもらい、翌年中一のお正月に「こんど会わない?」と手紙をもらったのだ。
中三までは映画にいったりスケートにいったり、お互いの文化祭にともだちを連れていったり、なかよくしていたのだが、あるとき、彼は自分の学校の近くの女子校の制服がかわいいといいだした。
わたしたちの学校には制服がなく、みんなカジュアルな格好をしていた。
本格的に思春期に入った彼は、いまでいう制服フェチの世界に移行してしまったのだ。
ある制服の女の子を追っかけているとか、待ち伏せしているとか、よからぬ噂すら耳に入ってきた。
わたしは彼を見限った。
制服がよかったらそちらへどうぞ、てなもんだ。
当時のわたしは強気だったのである。
中身で女の子を見られない男の子には用はない、とまで思ったのだから。
高校を出てから、彼が浪人しているとべつの男の子に聞いた。
二年めも受からなかったと。
それは日本でいちばん試験の難しい大学を受けているんだから覚悟の上だろうけど、ちょっと心配になって家に電話をしてみた。
彼は留守で、会ったことはないが声でだけはすっかりおなじみの彼のおかあさんが、悲鳴を上げんばかりに喜んでくれた。
「いつもあの子にいってるのよ、あなたがもたもたしてるうちにIちゃんは大学を出て結婚もしちゃうわよって」
わたしは、それはありませんよ、Sくんなら大丈夫ですから、とおかあさんを励まして電話を切った。
本人からコールバックがあったのかどうかは覚えていない。
けっきょく三浪して、彼は志望校に入った。
卒業してからが驚いた。
入社した洋酒メーカーで、いきなり音楽ホールを担当する部長になっていたのだ。
そこで開かれたある歌手のコンサートで、わたしは彼に再会する。
27歳のときのことだ。
「Sくーん!」と思わず叫んだら、周りの女子社員が笑った。
悪いことをしてしまった。
それからまた10何年、彼とは音信不通。
あれは7年くらい前だったろうか、彼の同級生から話を聞いて、ふと電話をかけてみたら、彼が出た。
彼はしきりと懐かしがった。
きみが変わってなくてうれしいよ、とかなんとか。
見てないのにわかんないでしょ、わたしもおっかさんよ、といったのだけれど、僕のことを「Sくん」だと思ってくれてるのはもうきみだけだとかなんとか。
二人の家の中間点くらいの街でお茶でも飲もうか、という話も出たのだが、それっきりになった。
それでよかった。
いまでも彼に会いたいとは思わないし。
恋愛感情は、若い頃だけのものではない。
あ、あれだ。
恋は遠い日の花火ではない。
そうそう。
だから、当時の花火の相手(火遊びじゃなくてね、線香花火とかそういう)とまた会わなくたっていいのよ。
それは大学時代のボーイフレンドについても同じ。