ブリリアント!

街で赤ちゃんを見るのが好きだ。
彼らは生きる喜びの固まりのようだ。
どの子もみんな、かわいらしく、いとおしい。

わたしは、幸いにも、男の子と女の子の両方を育てることができた。
そのおかげで、男の赤ちゃんを見ても、女の赤ちゃんを見ても、ああ、そうそう、そうなのよねえ、と自分と会話して納得することができる。
ひとことでいえば「わたしはこれを知っている」という気持ちになれるのである。

人にはそれぞれ、自分の「知っている」ものがあると思う。
赤ちゃんのような、喜ばしいものだけではなくて、うれしくないものを「知る」場合もある。
むしろそちらのほうが多いのではないかと、わたしは、自分の人生を振り返ってもそう思う。

それでも、語弊を怖れずにいえば、それらはわたしたちへの贈り物なのだ。
輝きは、知ったものの喜ばしさの度合いからではなく、そこからわたしたち自身が抽出したものから生まれる。

人は輝きだすために生きている。
おでこもほっぺもおくちもあごも指先も、どこもかしこもまぶしく輝く赤ちゃんを見ていると、そう思う。
わたしたちはだいぶ育ってしまったけれど、高い空から見れば、彼らと変わるところはないのだ。