イタコ

10代の頃から、わたしは他の人と比べて、街なかで知り合いと遭遇する率が非常に高かった。
「生きてる人を呼ぶイタコ」と称されたこともあった。

近視じゃないから、いつもきょろきょろしているから、なんとなく敏感だから、など、いろいろな理由を自分で考えてきたが、勘が働いた、と思えるときもある。

人波を見るともなく見ていて、あ、あの人、知り合いの誰とかさんに似てる、と思うと、ほどなく、その誰とかさん本人が波の間から現れてくるのだ。
コウモリが高周波を発するように、人間もその人らしさを発して歩いているのではないか、と仮説を立てた。
その周波をわたしの無意識がキャッチして、誰とかさんに似てる人がいる、という情報にしてわたし自身に伝えてくる。
あ、ほんとだ、といってるうちに、周波を出していた本体がやってくるというわけ。
あくまでも仮説、だけれど。

しかしきょうのあれは。

きょう、青山に用事があって、中央線を新宿で降り、山手線の渋谷方面に乗り換えた。
その山手線プラットホーム。
エスカーターで上がってちょっといったところで立ち止まってしまい、混んでくるだろうから移動しようか、でもこの先もいっぱいだな、と考えながら、なにげなくエスカレーターを振り返った。
つうううん、と頭頂部から現れてきたのは、わたしが住んでいるマンションの、隣のご主人だったのだ。
80近いおじさまである。
(日曜日の夕方には、おばさまと『笑点』に笑いころげておられるのが、庭伝いに聞こえてくる)
中央線のプラットフォームならまだわかる。
あ、いっしょの電車だったんですね、お出かけですか、と声もかけられる。
しかし山手線。
そしてこのエスカレーター、この立ち位置。
それになんでわたしは、さっきエスカレーターを振り返ったんだろう。
自分のイタコ能力の底の知れない不気味さに、わたしはあとずさった。
声なんかとてもかけられない。
わたしはまっすぐ前だけを見て、入ってきた電車に乗り込んだ。