一人称

文章を書くときの一人称。
ここ15年くらい、わたしは「わたし」を使っている。

大学生のころには「あたし」と名のっていた。
ふだん話すときと変えずに書きたかったからだけれど、いま思うとずいぶん気取っていたものだ。
その後は「私」。

「わたし」に変えるにあたって、なにか思うところがあったのかどうか。
理由はなくて、感覚だったと思う。
「私」の読みは「わたくし」だと気づいたせいもある。
わたしは心で「わたし」と発音しながら「私」と書いていたのだ。
この告白ははずかしい。
まぬけな「わたし」。

文章を書くのは苦手だ、難しい、という訴えをわたしはよく聞く立場にある。
わたしの職業を知った人はこぞってそんな話をしたがるのだ。
「もの書き」を持ち上げてくれようとする気遣いだとは思うが、わたしはいつも、慣れれば平気ですよ、と答える。

意識的に言葉を使う習慣をつければ、文章を書くことは難しくなくなる。
意識的に言葉を使う、といういいかたは抽象的だけれど、たとえば、自分にとってどんな一人称だったらしっくりくるか、ということを考えてみる。
それだけでも、文章表現というものに一歩踏み込んだことになる。

「普通『私』なんじゃない?」なんてすぐに結論を出さずに、なんでもあり、の自由のなかで、一人称はなにがいい?

爆笑王・林家三平が日記で「余」を使っていたことを知ったときには、失礼かも知れないけど、驚いた。