チャージ完了

「エネルギーの交換」という言葉を、最近3人の友人からつづけて聞いた。
「人と人とのエネルギーの交換」という意味で。
「交流」といいかえてもいいだろう。
互いに流れあう。
こちらからあちらへ。
あちらからこちらへ。

「愛」という言葉を使うと、それこそ価値判断が伴う気がする。
「エネルギー」のほうが、実感に近い。

わたしのiPhoneMacBook、息子のiPod TouchPSPと携帯電話、娘のDS、部屋のなかは本体と充電器とコードがこんぐらがってもう織り上がりそうな勢いだ。
わたしは「ああ、充電人生!」と悲鳴を上げるが、それらが嫌いなわけではない。
各種端末の「充電」というしぐさは、かわいらしいとさえ思える。
幼い日のヒーロー・鉄腕アトムの、おなかからのエネルギー補給を思い出すからかも知れない。
アトムのおなかには小さなハッチがあって、開けると裏側にメーターがついていた。

人と人とのエネルギーの交換にも、どうやらメーターがあるようだ。
それが上がっていくと、たしかにわかる。
すれ違いざまに一瞬で上がるときもあれば、ゆっくりと時間をかけて、気がつくと満タンということもある。

どちらのときにも「目と目が合う」というのは必要条件らしい。
目が合わないとそれは起こらない。
互いに何かを目と目の奥に見つけたときに、それが始まるのだ。

いえ、とくに「恋」の話をしているのではありません。
もっと幅の広い話。