両目で

半分の言葉を取り戻して二日め。
なんだか、初めて両目でものを見ているような気がする。
それと同時に、これまで片目をつぶって見ないようにしていた、自分の「よくない」感情とも、否応なく対面させられている。

たとえば「いやだ」ということが、はっきりいえなかった、そのために負うことになった荷物の重さが、現実的に迫ってくるのだ。
ああ、重い、ああ、これは持っていたくない。
そういう弱音が出ても不思議はなかったのに、心を二重底にして押し込めていたから、いまそれがいっせいに喉元に駆け上がってくる。

いまとなっては自分がしたこととも思えないが、「愛」は「いい言葉」で「憎しみ」は「わるい言葉」だと、やみくもに二つに分けていた。
それらを併せて抱く自分を顧みず、ただ、いいほうだけを持とう、いいほうだけを表そうと、やっきになっていた。
愛せなかったり憎んだりしたら、自分のなかがめちゃくちゃになり、それは相手が「わるい」んだと責任を転嫁した。

いまのわたしにできるのは、なにが出てきても、なにが爆発してきても、ひるまずに見ることだ。
怖いから逃げるのではなく、逃げるから怖い。
両目でしっかり見ていよう。